私のルリユール
昨日の「製本教室」でつぎのようにご挨拶。
今年度の末ころに、これまでの「製本教室」の足どりを振り返り、皆さんの作品を並べてご紹介するような企画展示をしたいと思っています。
やや唐突の感を受けられたか、皆さん「……?」。
それを一区切りとしたいと思っています。
「ザワザワ……。それは今年度で打ち切るということ?」
(ほんとにいいたいことはすぐ察されますね)ええ、まあ。今までのようなかたちで続けることはありません。
「続けることは無理になったんですか。経費的なことですか」
それも多少はありますが、いちばんは私の時間があまりなくなってきたということです。私をまったく抜きにして継続できれば、それに越したことはないのだけれど。
「……。それは、まだ無理ですね……。しかたないかな……。」
ということで、みなさんのご了解を、というか半ば以上、強く押し切ってしまったのですが。心も痛む。
というところに先ほど、永年指導してくださった北間先生、来館。
「僕もね、しおどきだと思ってたんだよ」。……。すみません。
「もう年だし、無理もきかなくなってきたからね。生徒さんが趣味的に続けるなら、それはそれでいいけどね」。そうですね。場所とか道具とかはいつでもご提供しますし。
ということで、年度末にはせめて良い展示会をしたい。タイトルはいつものようにすぐ決まりました。
「私のルリユール 小樽文學舎製本工房の10年」。どうぞ、お楽しみに。
人に頼るということ。
人に頼るより、自分でやった方がはるかに楽だ。できることには限度があるけど、徹夜作業を一週間ぐらい覚悟すれば、たいていのことはできる。
なのだけど、それは所詮無理なので、年取ってくると余計に無理なので、けっきょく人に頼らざるを得ない。頼ることの辛さは自分でやらなければならない辛さとは質が違う。
どうしても意のままにはならない、そういう辛さ。自分の限界、自分の無能、思い知らされるそういうつらさ。
ただ。ここ大事なんだな。意のままにならない、ということ。そこで初めて「想定外」が可能になる。自分の先が見えた、つまりその先の「未知」がおぼろげながら見えてきた、ということであります。
きょうは製本教室を初めて2階の古本コーナー(事務室跡)でやっております。あと、函館博物館の佐藤智雄さんが訪ねてくださいました。
まんべくん
日記再開するのだから、文学館の改装について、とか、なぜ塀がなくなったのか、とか、だいじな話から、と思ったけど、どうも今あたまを占めていることしか書けない。これをツイッター脳というのかしらん。
有名なゆるキャラ、まんべくん。昨日、本人が「さて、小樽行くか」などツイートするものだから、「誤報あるいはデマ」(もしかしたら私が第1次発生源?)が小規模に拡がりました。
きょうは「デマの考察」ではなく、「まんべくん」そのものについて。
かすかに気になりながら公式ページ http://manbe.jp/ みたり、ツイートフォローしたり始めたのは最近。それでびっくり。おもしろすぎる。
ゆるキャラとは何ぞ。
地方の市町村は存在感薄れていくばかり。町おこしなどといっても、立派な珍しいものがそんなにあるわけはない。
苦し紛れに「町や村のマスコット」などひねり出す。たいがいトホホなそれを、みうらじゅん氏が「ゆるキャラ」となづけたのでしょう。苦笑の対象ね。
「ゆるキャラ」一人歩き現象は置いといて「まんべくん」。
まんべくんは、長万部町の公式キャラクター。
長万部とはどんな町でしょう。腕を組んで考えてみる。
思い出すのは学生時代。札幌から室蘭経由で函館。函館から青函連絡船。函館までも長い道のり。
私は森駅で「いかめし」を食べたかったが止まってくれない。長万部しかないわけです。長万部オア絶食。売りにくるのは「かにめし」か「そば」しかない。かにめしオアそばイコール長万部。
ええと、そのほかには。「おしゃ。まんべ。」という由利徹のギャグ。ごめんなさい、長万部町民の皆さん。
小樽だって住んでなければ、運河、スシ、ユージロー、ええと何とかフロマージュ、あと? ええと。カニコウセン、だったっけ。
私「まんべくん」初めて見たとき思った。これは職員が業務命令で作らされたんだろう。もう何にも出てこなくて、頭抱えて、「もうー、カニ、ホタテ、あと、あと、アイリス!(え?)」。上司「なんか……かわいくないなあ」。担当者「くちもとスマイルだし、目も鼻もまんまるですが」。上司「なんか……怖いな」。担当者「勝手にしてください」。
違いました。公募なんですって。入選作ではなく準入選。高校生の作品ですって。ごめんなさい高校生。高校生本人だってこれが入選すると思い上がりはしなかったろうけど。
この「開きなおり・やけっぱち」キャラに命ふきこんだのは、きっと卓越した「プロのお仕事」。そのキャラ立てにもっとも効くと直感したのがツイッター。これ大正解。誰でもよいから一人のツイート時間軸で読めばすぐわかりますが、ツイートが情報源そのものと思えば間違いでありデマ拡散のもと。ツイートは行動、反射、気分の記録であり、すなわちキャラクターそのものだから生きた情報にも「なり得る」。逆にツイートでキャラを作ることが十分可能。キャラは立ってしまえば一人で走り出す。速度が出れば、街を牽引するエネルギーを発揮する。
ええと小樽にもゆるキャラほしい、という話とはちょっと違いまして、人も街も、何も持たずとも(プロレタリア?)開き直ってしまえば虚構に命吹き込むこともできる、とにかく走り出すことね、という乱暴なお話。
こんなんなりました。
あきれ果てられてもしかたないのだけれど、「日記」の調子をまったく忘れてしまったので、何とかとりもどすまで、短めにポツラポツラと再開します。
文学館「事務室」撤去跡。
遊歩道ができた。
文学館側参加者5人、博物館側2人。最高齢は70半ば(女性)。
感激の両隊合流は、かなり博物館よりの位置。
全体を歩いてみて分かったのですが、文学館側は山あり谷あり、ときに除雪車の雪煙をかぶるという障害物だらけ。かたや博物館は平坦で雪原を歩く趣き。
けれども歩きにくいんですね、博物館側のほうが。
文学館側になぜ山や谷ができるか。それは沿線の生活者が勝手にどんどん刺さりこんでくるからです。本来排雪場所じゃないところに雪積み上げる。線路にそって除雪など知ったことではないが、とりあえず自分の家から向こうにわたる道だけは作る。そんなこんなで凸凹状態。
積み上げた雪山は見上げるばかり。迂回するのもつまらない。線路にそってまっすぐの道を作る、のが趣旨ですからね。強引によじ登ります。
背丈まで埋もれるのでないか、と一抹の不安。けれども堅いんだな、これが。
こういうことです。手宮線半ば、文学館側は生活が刺さりこんでる。私たちがムリヤリ歩くまでもなく、生活者が勝手に雪を堅くしてる。見た目はよくないけれど、生活の一部になってしまっている。
博物館側は手つかずの自然ね。純潔な白雪ね。平坦で単調なようだけど、見た目より困難。
文学館側は舌打ちされかねない無秩序、みにくい。だけど生活者の痕跡がおのずとスタンスを堅めていく。
手宮線の話、っすよ。でも、この文学館が自ずから、無意識に培ってきた性格と関わりは深いな。
旧手宮線遊歩道づくり(文学館~総合博物館)
日時
2010年2月13日(土)午前11時に両館それぞれから出発。12時30分ころ終了。
終了後、「雪あかりの路」会場あるいは文学館カフェで休息と懇談。
やり方
道具を使わず、長靴で踏み固めながら線路沿いに進む。博物館側から出発するチームと連絡を取り合い、ほぼ中央あたりで合流。
参加者
文学館側
玉川(文学館副館長)・文学館ボランティア(2~3名)
小樽探検隊( 名)
総合博物館側
NPO法人北海道鉄道文化保存会(3~4名)
それぞれのチームに鉄道の歴史に詳しい人に参加してもらい、ところどころにある鉄道遺跡の説明もしてもらう。
意義
旧手宮線を実際に歩いてみることで、その歴史遺産としての価値や、現代に生かしていく方法を考えてみる。また文学館と博物館、加えて旧日本郵船小樽支店が手宮線を介してつながっていることを、改めて認識する。雪に埋もれる冬だからこそ、目に見える「遊歩道」を人力のみで作ることが可能。
The Place For the Rest of Me
アップルコンピュータ、iPadを発表しました。ノートパッド型のコンピュータ。
アップルのCEO(最高経営責任者)スティーブ・ジョブズは「魔法のようで革新的なデバイス(道具)」と言っておられます。
アップル嫌い、ジョブズはもっと嫌い、の方も少なくはないので(分からないではない。ジーパンにTシャツだからね。ジイさんなのに)、「あいかわらず大げさだよな。iPhoneでっかくしただけじゃね」とも言われます。
ジョブズは、ステージに置かれたソファにくつろぎ、週刊誌めくるみたいにiPadのページをペラペラ(iPhone触った人はすぐわかる感覚)。パフォーマンスなわけですが、病み上がりだからほんとに疲れたのかもしれません。ジイさんだしね(と繰り返してから確かめたら、私より2歳年下じゃないか!)。
けれども、ここ大事! もうキーボードちまちま打ちたくないんだよ。携帯電話のキーもちまちま打ちたくないんだよ。画面をちょちょっとめくって、小さいところは2本指でぐいっと広げれば、ほら。
ちまちま、ちまちま、って、もうやりたくないの。
話は飛んで「ちまちま小樽文壇史 偉人物語展」。本日の入場者200人オーバー。いわゆる「爆発的」(例年1月30日頃の小樽文学館比較)。これも何度目かの繰り返しなのだけど、こっちの「ちまちま」のすごさは入館者数を引き上げたことではなくて(いや、すごいんだけれど)客層を広げたこと。それこそiPadの画面の小さいところを、2本指でぐいっと、もう一度ぐいっと、さらにぐいっと広げたくらい。
それはJJ’s Cafe のカウンターにいれば分かる。事務室とか学芸員室(ウチにはないけど)にいたら分からない。だってお客様の顔みれば分かる。会話小耳にはさめば分かる。文学館開館して30年、絶対に文学館なんて来たことないはずの人(顔みれば分かる。これは失礼な言いぐさではありません)が、十年来の文学館馴染みのお顔になっている。
「The Computer For the Rest of Us」これはアップル社が1984年1月24日に発表したコンピュータMacintoshのキャッチフレーズ。私たち以外の人々のためのコンピュータ。
ジョブズはそのように考え続け、ソファに寝ころんでペラペラめくるiPadに至った。任天堂の宮本茂さんと岩田社長もそのように考え続け、ニンテンドーDS、さらに一回り大きいDSiLLに至った。引き合いに出すのもおこがましい限りだが、不肖私もそのように考え続け、「ちまちま」に至った(しかもほとんど他力)。
ここでこのサイトを参照。
http://www.d4.dion.ne.jp/~motohiko/macborn.htm
ここに書いてあります。
the Rest of Usを、取り残された人々と絶対に訳してはいけない。支配されなかった我々の仲間である。支配者の権力で、創造力を支配できない。
ここで強引に文学館に置き換えてしまう。
文学館に来たことのない人は「支配者の権力で創造力を支配されなかった我々の仲間である」。
ここでいう「権力を振りかざす支配者」とは何者か。枯渇した創造力を自覚もせず「the Rest of Us」を「取り残された人々」と誤解するのは何者か。それは学芸員だ。小樽文学館でいえば、とりもなおさずこの私だ。
ミュージアム全般に敷衍してもよかろう。ミュージアムの現場における権力者とは、教育委員会にあらず文科省にあらず、学芸員をおいて他にない。年齢、肩書きも関係ない。異論、反発きっとあろうが、ミュージアムにおける創造力を抑圧する「最後の障害」は、例外なく「学芸員」である。
いなくていい、わけじゃないけどね。
学芸員のいる唯一の意味は、「The Place For the Rest of Me」を考え続ける存在として、ということだな。
ツイッター
明けましておめでとうございます。
前に少し書いたことですが、ツイッター(Twitter)というものを始めています。
昨年の今ごろ、ちょっと試みたのですが、140字という字数制限は短すぎる。また書き込んでみたところで、何の反応もない。一日二日おいて様子を見にきても、反応ゼロ。一体何がおもしろいのか、さっぱり分からず。
その後、「日記」について思うところあり、挫折したまま放置しているツイッター使ってみようか、と考えた経緯、2009年10月12日の「日記」のとおりであります。
多少の紆余曲折をすっとばして申し上げれば、これは本当におもしろい。いろいろと有益でもある、らしいが、まずは何よりおもしろい。
前に試みたときは、なぜつまらなかったのか。
それは「フォローする」「フォローされる」という、ツイッターの「かなめ」が解っていなかったからですね。
ツイッターそのものの使い方は、きわめて簡単。ブログはおろか、メールより簡単。逡巡させるのは、ひとえに「フォローする」後ろめたさ、「フォローされる」不安。
「フォロー(追跡)する」のは、身も知らぬ人。メールすら交わしたことのない人。
突然「○○があなたをフォローし始めました」と連絡がはいる、その○○さんは、いわゆる「どこの馬の骨ともつかぬ」人。
すぐさま連想いたします。あの忌まわしい言葉。「ストーカー」。
だから誰でもまず気心知れた人、つぎに必ず優しく振る舞ってくれる人をフォローさせていただき、フォローしていただく。そうこうしているうちに嫌でも「あれ」が届きます。「○○があなたをフォローし始めました」。見知らぬ○○。思わず硬直。そこで拒絶、も無論自由。それがツイッターのいいところ、ではない。
拒絶しないで受け入れる。これがツイッターが用意している「感性の変革」であります。そこから先、見知らぬ人への網の目は、止まるところを知らぬ。
そして何が見えてくるか。「さまざまな生活」であります。一人一人に生活がある。生活には気分がともなう。抑制しようとしていても、感情がにじみ、ときに溢れる。驚くほどさまざまな生活があり、あきれるほどさまざまに感情が揺れ動く。
眺めているだけで苛つく、腹立たしくなることもないではない。けれどいろんな生活の流れに目を奪われてるうちに、突然、気づかされるのね。それでもみんな「同じ月を見ている」。これがツイッターの「ほんとうにすごいところ」だ。
・一ツイート140字の制限。
・誰に対してもフォローは自由。フォロー打ち切りも自由。
基本これだけのシステム、を思いついた人。正真正銘の革命家だな。
目の前の人
私は人の顔を覚えられません。 午前中、2時間くらい話し込んでいた人の顔を、午後、忘れたりする。寄る年波、でもありますが、どうもこれは昔から。 今、カウンター越しに話しかけてきたオヤジさん。 「この床、懐かしいね。これはボクが生まれて初めてのアルバイトで貼ったんだよ」。えーっ。 「施工受けてた木工所が時間なくなったらしくてね、アルバイト集めた」「あの当時、フローリングなんてのがだいたい珍しいし、床貼ったところも、何枚かの板を、いわゆるさねはぎって昔からのやり方で、ついでた。けれども、ここの床は4枚の板を波釘でしっかりあわせて、一枚のタイルを作ってる。だから決してバラバラにならないんだね」「そのタイルの裏にコールタール塗って、セメントで床に貼っていく。コールタールが熱いから、その役やらされたヤツは気の毒だったな」。 おもしろい、おもしろい。 「トイレの水洗のレバーもね、ほんとにモダンだった」。やっぱりね。 このオヤジさんは、その後デンキ屋さんに就職され、ネオン工事などを手掛けるデンキ士になりました。 「今の長崎屋ができる前」。私が小樽に来たのは駅前開発すんだあとだったからな、知らないころの話だな。 「あそこはいろんな飲食店が集まっていて、そのうえにニッカウィスキーのネオンがあってね、あれはボクが手掛けた」。へえ。 「あれはとっても凝っててね、64段階に変化するの。シロクマが、こうコップを傾けて、シロクマのポーズも4段階に変わってね。黄色い豆電球を大量に使ったウイスキーが、コップから流し込まれるようにみえる。シロクマの顔が、最初に赤くなってね、つぎにおなか、そして体全体が真っ赤に」。へえーっ! そりゃ、楽しいなあ。 「写真も撮ってなかったのが、残念だよ」。ほんとうに。 「上のギャラリー(退職先生たちの虹の会展)見てきたけど、オレのやってるような小さい模型作ってる先生もいるね」。……あ。 今、思い出しました。目の前でお話しているこの人、松ぼっくりのフクロー持ってこられて、(やむを得ず)テーブル一本の市民企画展を始めることの起こりになったオヤジではないか。 http://homepage2.nifty.com/tamagawakaoru/200905.html あのときは、(半ば以上)うーむ、はた迷惑な……、と思ったものだが、人生、出会いは大切にしなきゃ、ならないものですね。
ナンシー梅木(ジャズ歌手・オスカー女優、小樽生まれ)もキュートですね!