ツイッター

明けましておめでとうございます。

前に少し書いたことですが、ツイッター(Twitter)というものを始めています。

昨年の今ごろ、ちょっと試みたのですが、140字という字数制限は短すぎる。また書き込んでみたところで、何の反応もない。一日二日おいて様子を見にきても、反応ゼロ。一体何がおもしろいのか、さっぱり分からず。

その後、「日記」について思うところあり、挫折したまま放置しているツイッター使ってみようか、と考えた経緯、2009年10月12日の「日記」のとおりであります。

多少の紆余曲折をすっとばして申し上げれば、これは本当におもしろい。いろいろと有益でもある、らしいが、まずは何よりおもしろい。

前に試みたときは、なぜつまらなかったのか。
それは「フォローする」「フォローされる」という、ツイッターの「かなめ」が解っていなかったからですね。

ツイッターそのものの使い方は、きわめて簡単。ブログはおろか、メールより簡単。逡巡させるのは、ひとえに「フォローする」後ろめたさ、「フォローされる」不安。
「フォロー(追跡)する」のは、身も知らぬ人。メールすら交わしたことのない人。
突然「○○があなたをフォローし始めました」と連絡がはいる、その○○さんは、いわゆる「どこの馬の骨ともつかぬ」人。
すぐさま連想いたします。あの忌まわしい言葉。「ストーカー」。

だから誰でもまず気心知れた人、つぎに必ず優しく振る舞ってくれる人をフォローさせていただき、フォローしていただく。そうこうしているうちに嫌でも「あれ」が届きます。「○○があなたをフォローし始めました」。見知らぬ○○。思わず硬直。そこで拒絶、も無論自由。それがツイッターのいいところ、ではない。

拒絶しないで受け入れる。これがツイッターが用意している「感性の変革」であります。そこから先、見知らぬ人への網の目は、止まるところを知らぬ。

そして何が見えてくるか。「さまざまな生活」であります。一人一人に生活がある。生活には気分がともなう。抑制しようとしていても、感情がにじみ、ときに溢れる。驚くほどさまざまな生活があり、あきれるほどさまざまに感情が揺れ動く。

眺めているだけで苛つく、腹立たしくなることもないではない。けれどいろんな生活の流れに目を奪われてるうちに、突然、気づかされるのね。それでもみんな「同じ月を見ている」。これがツイッターの「ほんとうにすごいところ」だ。

・一ツイート140字の制限。
・誰に対してもフォローは自由。フォロー打ち切りも自由。

基本これだけのシステム、を思いついた人。正真正銘の革命家だな。