The Place For the Rest of Me
アップルコンピュータ、iPadを発表しました。ノートパッド型のコンピュータ。
アップルのCEO(最高経営責任者)スティーブ・ジョブズは「魔法のようで革新的なデバイス(道具)」と言っておられます。
アップル嫌い、ジョブズはもっと嫌い、の方も少なくはないので(分からないではない。ジーパンにTシャツだからね。ジイさんなのに)、「あいかわらず大げさだよな。iPhoneでっかくしただけじゃね」とも言われます。
ジョブズは、ステージに置かれたソファにくつろぎ、週刊誌めくるみたいにiPadのページをペラペラ(iPhone触った人はすぐわかる感覚)。パフォーマンスなわけですが、病み上がりだからほんとに疲れたのかもしれません。ジイさんだしね(と繰り返してから確かめたら、私より2歳年下じゃないか!)。
けれども、ここ大事! もうキーボードちまちま打ちたくないんだよ。携帯電話のキーもちまちま打ちたくないんだよ。画面をちょちょっとめくって、小さいところは2本指でぐいっと広げれば、ほら。
ちまちま、ちまちま、って、もうやりたくないの。
話は飛んで「ちまちま小樽文壇史 偉人物語展」。本日の入場者200人オーバー。いわゆる「爆発的」(例年1月30日頃の小樽文学館比較)。これも何度目かの繰り返しなのだけど、こっちの「ちまちま」のすごさは入館者数を引き上げたことではなくて(いや、すごいんだけれど)客層を広げたこと。それこそiPadの画面の小さいところを、2本指でぐいっと、もう一度ぐいっと、さらにぐいっと広げたくらい。
それはJJ’s Cafe のカウンターにいれば分かる。事務室とか学芸員室(ウチにはないけど)にいたら分からない。だってお客様の顔みれば分かる。会話小耳にはさめば分かる。文学館開館して30年、絶対に文学館なんて来たことないはずの人(顔みれば分かる。これは失礼な言いぐさではありません)が、十年来の文学館馴染みのお顔になっている。
「The Computer For the Rest of Us」これはアップル社が1984年1月24日に発表したコンピュータMacintoshのキャッチフレーズ。私たち以外の人々のためのコンピュータ。
ジョブズはそのように考え続け、ソファに寝ころんでペラペラめくるiPadに至った。任天堂の宮本茂さんと岩田社長もそのように考え続け、ニンテンドーDS、さらに一回り大きいDSiLLに至った。引き合いに出すのもおこがましい限りだが、不肖私もそのように考え続け、「ちまちま」に至った(しかもほとんど他力)。
ここでこのサイトを参照。
http://www.d4.dion.ne.jp/~motohiko/macborn.htm
ここに書いてあります。
the Rest of Usを、取り残された人々と絶対に訳してはいけない。支配されなかった我々の仲間である。支配者の権力で、創造力を支配できない。
ここで強引に文学館に置き換えてしまう。
文学館に来たことのない人は「支配者の権力で創造力を支配されなかった我々の仲間である」。
ここでいう「権力を振りかざす支配者」とは何者か。枯渇した創造力を自覚もせず「the Rest of Us」を「取り残された人々」と誤解するのは何者か。それは学芸員だ。小樽文学館でいえば、とりもなおさずこの私だ。
ミュージアム全般に敷衍してもよかろう。ミュージアムの現場における権力者とは、教育委員会にあらず文科省にあらず、学芸員をおいて他にない。年齢、肩書きも関係ない。異論、反発きっとあろうが、ミュージアムにおける創造力を抑圧する「最後の障害」は、例外なく「学芸員」である。
いなくていい、わけじゃないけどね。
学芸員のいる唯一の意味は、「The Place For the Rest of Me」を考え続ける存在として、ということだな。